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ちひろのゆめ日記

ちひろのゆめ日記というブログ運営してます。 継続は力なりと言う言葉を信じて。

戦後を代表する現代の俳人たちと、詠み継がれる俳句

現代にも俳句は盛んに詠まれています。江戸時代には松尾芭蕉小林一茶、近代では正岡子規高浜虚子などが有名ですが、現代の俳句や俳人となると、すんなり出てこない人も多いのではないでしょうか? ここでは、1945年以降の戦後に活躍した主な俳人をご紹介します。

俳句の成り立ち

現代にも俳句は広く親しまれていますが、その『俳句』という言葉を広めたのは、明治時代の人、正岡子規(1867-1902)でした。
松尾芭蕉(1644-1694)は一般的には『俳人』として有名かもしれませんが、彼の時代にはまだ俳句という呼び方は無く、『俳諧』と呼ばれていました。
なので、厳密に言うと、松尾芭蕉俳人というより『俳諧師』なのです。

松尾芭蕉は17世紀の末に、俳諧を芸術の域に高めたことで知られます。
ですが江戸時代末期になってくると、俳諧芭蕉の提唱した精神を忘れ、低俗なものばかりになってしまっていました。

明治の半ば、ちょうど松尾芭蕉没後200年の頃、正岡子規が俳句改革運動を始めました。
子規は西欧の自然主義の影響を受け、徹底した写生・写実主義にたち、雑誌『ホトトギス』を創刊し、高浜虚子や川東碧梧桐などの俳人を輩出しました。

西欧的な観察眼を日本伝統の俳諧に取り込んだことは、その後の日本の発展に大きく寄与したのではないでしょうか。

正岡子規が、大正昭和、そして平成へと続いていく現代俳句の礎を築いたのです。

正岡子規

現代俳句の有名な俳人

ここでは戦前から戦後にかけて活躍した現代俳句の俳人を紹介します。
多くの俳人高浜虚子に師事し、子規の創刊した『ホトトギス』に投句しています。

中村草田男(なかむらくさたお)

「万緑の中や吾子の歯はえ初むる」

1901-1983。愛媛県出身。
中村草田男はニーチェ著作に影響を受けており、「人間探求派」と呼ばれました。
妻はクリスチャンで、草田男自身も最晩年に洗礼を受けました。
聖書の知識が込められた俳句もあります。

中村汀女(なかむらていじょ)

「咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや」

1900-1988。熊本県出身。
中村汀女の俳句は、生活の中のふとした瞬間を切り取ったものが多いとされています。
現代では多くの女性が俳句を楽しんでいますが、これには汀女の功績が大きいとされています。

水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)

「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」

1892-1981。東京都出身。
医学博士でもあった水原秋桜子の俳句は、抒情的で明るさを感じさせるものが多いとされています。
はじめは『ホトトギス』の同人でしたが、後に写生主義を批判して、俳句雑誌『馬酔木』に移りました。
高原植物や野鳥を俳句に詠み、西武ライオンズのファンだったため、野球に関する俳句も多く詠んでいます。

山口誓子(やまぐちせいし)

「かりかりと蟷螂蜂の皃を食む」

1901-1994。京都府出身。
山口誓子は、映画的手法を用いた独特の世界観を持つ連作俳句で知られます。
子供の頃に樺太に移住した為、若い頃の俳句には樺太をモチーフにしたものが多いのも特徴です。
水原秋桜子とともに『ホトトギス』を離れ、『馬酔木』に移りました。

山口青邨(やまぐちせいそん)

「みちのくの町はいぶせき氷柱かな」

1892-1988。岩手県出身。
鉱物学者であった山口青邨の俳句は、故郷である岩手の風景や、漢詩などに影響を受けています。
水原秋桜子山口誓子が『ホトトギス』から離れる中、青邨は『ホトトギス』の同人であり続けました。
また、海外詠という、外国の地名や物に関する言葉を取り入れた俳句の先駆者でもあります。


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春夏秋冬の現代俳句

現代の俳句にも、もちろん季語が用いられています。
無季の俳句もありますが、多くの俳句は春夏秋冬のいずれかに分類されます。
ここでは、上の見出しで紹介した現代の俳人たちが詠んだ、春夏秋冬の俳句を選んでみました。

春の俳句

「花屑の流れ流れて春はゆく」

散った花びら

山口青邨の俳句です。
花屑、という季語にハッとさせられます。

「手渡しに子の手こぼるる雛あられ」

中村汀女の俳句です。
自分の手にはおさまっていた雛あられが、子供に手渡すとこぼれてしまった。
子供という小さな存在に対する感慨があります。

夏の俳句

「縁台を濡らして過ぎし夕立かな」

山口青邨の俳句です。
どうして縁台に着目したのでしょう?
夕立が降ったのなら、植物などや水たまりなどに注目した方が分かりやすいような気がします。
あえて縁台に着目したという事は、あっという間に過ぎて行った夕立だったのかもしれません。
木製の縁台の色が斑に変わっていて、夕立が降ったことに気付いたのでしょう。
外に出てみると、夕立を降らせた雲が遠くに去っていく姿が、まだ見えるかもしれません。

「日焼け顔見合ひてうまし氷水」

水原秋桜子の俳句です。
家に帰ってきたのでしょうか? それとも、どこかのお店に入ったのでしょうか?
ほっと一息ついて、喉を潤す氷水がとても美味しく感じられます。

秋の俳句

「法師ぜみ鳴く新学期始まれり」

水原秋桜子の俳句です。
ツクツクボウシは夏の終わりに鳴きます。
夏の終わりに新学期が始まります。
終わりと始まりが同所にあり、不思議な感覚を生じます。

「つきぬけて天上の紺曼珠沙華

曼珠沙華

山口誓子の俳句。
山口誓子の俳句は、映像的に鮮烈なものが多い気がします。
秋晴れの空の青さと彼岸花の赤の対比は、想像するだけでも美しいですね。

冬の俳句

「かつぎ荷を雪にもたせて憩い居り」

中村汀女の俳句です。
どんな荷物だったのでしょうか?
その人は長い距離を歩いてきたのかもしれません。
大きな荷物を運んできて、雪が積もっているにもかかわらず、体は火照っている。
冬の俳句ですが、寒さはあまり感じないような気がします。

「寒星や神の算盤ただひそか」

一面の星空

中村草田男の俳句です。
夜空一面に星々が広がっている。その様子に強く感動してしまう。
それだけなら、多くの人に経験があると思います。
草田男は、その感動を「神の算盤ただひそか」と表現しました。
クリスチャンである彼らしい俳句といえるかもしれません。
神は賽子をふり、算盤をはじく……。

「俄か寒おでん煮えつつゆるびけり」

おでん

水原秋桜子の俳句です。
やっぱりこたつに入って食べるアツアツのおでんは良いですね~。

激動の昭和を生きた俳人たち

昭和という時代は64年もあり、前半は近代に、後半は現代に属します。

ここで紹介した俳人たちは明治の生まれで、もちろん現代にのみ活躍したわけではありませんが、その人生の大半が昭和時代でした。

多くの俳人高浜虚子に師事し、戦争などがあった中でも俳句を止めませんでした。
戦後はメディア出演などを通して俳句の普及にも努められ、正岡子規が撒いた俳句の精神は、現代にも確かに伝わっています。

近代俳句から現代俳句への橋渡しを行った、重要な俳人たちではないでしょうか。

現代俳句まとめ

現代の俳人や俳句を紹介させて頂きましたが、いかがだったでしょうか。

私は正直なところ、俳句は難しく、パッと見では全く理解もできない、イメージも浮かばない、ということも多いです。
ですが、17文字の連なりから、ふと小説や映画のワンシーンのような情景が見えてくる事があります。
現代俳句の醍醐味は、その瞬間にこそあるのかもしれません。


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