ちひろのゆめ日記

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平和への礎を気付いた徳川家康の遺訓に学ぶ

人生に行き詰った時、過去の偉大な人物に学ぶことは多くあります。徳川家康もその1人です。偉人が残した遺訓にはヒントがたくさんあり、250年続いた安定の時代の基盤を作った徳川家康の遺訓を紹介します。

徳川家康の歴史

家紋

 

徳川家康は戦国時代に活躍した戦国大名です。幼名は竹千代として呼ばれていました。6歳ごろから人質として尾張で2年、駿府で12年ほど暮らしていました。その後、1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任命され、江戸時代の基礎を作り上げます。

徳川家康の人柄

常に「誠実」に人と向き合い、格下の相手であっても、対等に付き合ったとされています。人材発掘に力をいれ、相手の能力を引き出すことができる名君でした。そのため、徳川家康の部下は、主君のためには命を惜しまないと言われるほどに、家臣に信頼と忠義を寄せられていました。

徳川家康の変化

現在の徳川家康のイメージは人の話に聞く耳を持ち、慎重だとされていますが、若い時には感情の起伏が激しく怒りのままに飛び出すような人物だったとされています。晩年のイメージは慎重で平和な時代を築いた人ですが、時には感情も優先させる人でした。

しかみ像

しかみ像

 

徳川家康の絵として残っている中で最も有名な「しかみ像」。三方ヶ原の戦いで負け、浜松城に逃げる途中で脱糞し、その絵を描かせたというものです。自分の弱さを忘れることのないように戒めとして常に近くに置いていたとされます。弱さを認められることも家康の強さなのです。


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徳川家康の遺訓

徳川家康が言ったとする言葉が残されています。どんな相手であっても真摯に対応し、常に名君の器とは何かを考えて実行していました。

徳川家康の遺訓~責任

「己を責めても人を責めるな」人に責任を押し付け、責めるなということを説いたものです。何か問題が起こった時に、人に責任を求めるのではない。己の責任をまず考えるようにという、思慮深い徳川家康らしい言葉です。

「重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。」責任を持つことを説く言葉です。起こった結果に対して責めることはいさめていますが、相手を信じて責任のある仕事を任せることも、成長のために必要だとしています。

徳川家康の遺訓~聞く耳

「愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。」どんな言葉であっても真摯に対応するように説いた言葉です。名君の器として、大きな耳を持たないと考えていたとされています。

「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」聞く耳を持つことを説いた言葉です。戦で真っ先に切り込んでいくものよりも、耳に痛い事を言うものは嫌われがちです。ですが、耳の痛い事を言ってくれる人こそ大切であると徳川家康は考えていました。

徳川家康の遺訓~人

「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。」人の幸せにつながる行動を常に考えることを説いたものです。長く収めた人物だからこそ説得力のある言葉であり、自らが治める人たちのことを対等に扱っていたことを表す言葉です。

「家来というのは録でつないではいけないし、油断させてもいけないし、近づけても遠ざけてもいけない。家来はほれさせなければならない。」家来との関係を説いた言葉です。常に上に立つものとして、自らも成長し、魅力のある人物であり続けなければならないとしていました。

徳川家康の遺訓~決断

「あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である。」徳川家康馬術の名人として名が通っていました。自分の力を過信することなく、名人と言われるほどであっても、危険な場所では降りてわたることも、重要な決断であると説いた言葉です。

「決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。」決断とその結果に目が行きがちですが、本当に大切なのは違うと徳川家康は考えていました。決断したことが重要なのではなく、その決断に至るまでのかんがえこそが重要で難しいと説いた言葉です。

徳川家康の遺訓~感情

「怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。」どんなに冷静沈着で物静かな人物であっても、喜怒哀楽の感情はあります。常に感情を押し殺すのではなく、時には思いっきり声を大きくして怒ることも必要です。

「堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。」辛抱強くある事はとても大切で、怒ることは控え、気長に待つことも大切だと説いています。感情を出すことも時には大切ですが、勝負所で短気を起こしてしまっては、勝負を逃すと説いている言葉です。

徳川家康の遺訓~油断

「滅びる原因は自らの内にある。」大将の器として、人のいいところを引き出し使いこなすことができなければ、滅びてしまうと人の器を評した時の言葉です。自らの内に持っているものを磨き、名君の器にふさわしくあろうとかみしめていたのかもしれません。

「得意絶頂の時ほど隙が出来る。」 ことわざにも油断大敵とあるように、絶好調である時ほど気持ちを引き締めてかからなければ、足をすくわれるといさめた言葉です。慎重だった徳川家康らしい言葉です。


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徳川家康の遺訓まとめ

人生において、悩み壁に当たることもあると思います。先人の残した言葉にヒントがあるかもしれません。感情のままに動きたくなった時には、慎重な徳川家康を頭に思い浮かべ、行動の前に一呼吸しててみてはいかがですか?