読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちひろのゆめ日記

ちひろのゆめ日記というブログ運営してます。 継続は力なりと言う言葉を信じて。

聖徳太子は別名だった?歴史の教科書も変わっていた!

今の子どもたちが歴史を習うとき「聖徳太子」という人名を使わないことをご存知ですか?聖徳太子には別名がいくつもあり、正確にいえば聖徳太子という名前も別名だったんです。聖徳太子の本名やその他の別名を紹介します。

聖徳太子は別名!

実は、聖徳太子という名前は、諡(おくりな)という別名の一種なんです。歴史の教科書も最近は本名に切り替えられていて、今の子どもたちは本名で勉強しています。もしかしたら、そのうち「聖徳太子」では通じない時代が来るかもしれません。
この記事では聖徳太子の本名と別名、名前の由来などを紹介したいと思います。

聖徳太子の本名とは?

聖徳太子の本名とは何か、なぜ別名の聖徳太子の呼び名が定着したのかを説明します。

聖徳太子の本名

聖徳太子の本名は、日本書紀に登場する呼び名の「厩戸皇子(うまやとのみこ)」です。より正確にいえば、「厩戸王(うまやとおう)」です。
日本書紀の編纂を命じた天武天皇持統天皇の時代に、天皇の呼び名が「大王(おおきみ)」から「天皇」に変わりました。聖徳太子はそれより前の人物なので、皇子という名前では呼ばれていなかった可能性が高いからです。

本名の由来

当時の皇族は生まれた場所を名前にするのが一般的でした。厩戸王の名の由来は3つの説があります。

飛鳥の地名

聖徳太子は飛鳥(明日香)の橘寺のあたりといわれていて、その近くに厩戸という地名があったともいわれます。

厩で生まれた

馬屋

 

母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が急に産気づき、厩で聖徳太子を出産したという伝説があります。この説はイエスの誕生に似ていて、当時景教として伝わっていたキリスト教異端派の影響を指摘されています。

馬子の屋敷で生まれた

聖徳太子は血縁的に蘇我氏と近いです。蘇我馬子の屋敷で生まれたため、馬屋→厩と呼ばれるようになったという説もあります。
ただ、日本書紀蘇我氏を倒した後の政権による編纂で、馬子を含む蘇我氏の名前が後代の蔑称に変えられているとの指摘もあります。となると、この説は成立しなさそうです。
聖徳太子の名前の由来、わかりませんね。

諡とは?

諡とは、功績をあげた人物に人格を称賛するために、死後に贈られる名前のことです。聖徳太子という名前が文書に登場するのは、死後1世紀以上経ってからでした。
こういうわけなので、生前の聖徳太子は、自分が聖徳太子と呼ばれるようになるとは、夢にも思わなかったでしょう。

別名で呼ばれ続けた理由

聖徳太子の時代は大王(天皇)家の力がまだ不十分で、実際には蘇我氏の協力を得てやっと政治が行えるという状態だったということが、今の研究ではわかっています。
しかし、古事記日本書紀が編纂された天武天皇持統天皇の時代は、天皇への権力集中が課題でした。さらに、蘇我氏持統天皇の父が乙巳(いっし)の変で滅ぼした氏族でもあります。そこで、天皇家にとって都合がいいように、蘇我馬子や周辺の豪族の功績を聖徳太子の功績に書き換えたという説が有力です。
実際の聖徳太子も優秀な摂政だったようですが、次々と伝説が付け加わり、史実からかけ離れていくうちに別名が定着していたというわけです。

歴史の教科書と人物の名前

この記事をご覧の方は、学校の教科書でも「聖徳太子」と習った方が多いと思いますが、今の教科書は「厩戸皇子」という表記が主流で、子どもたちは聖徳太子は別名としてカッコ書きや注釈で習います。歴史の教科書の表記の基準はどうなっているのでしょうか?

基本は本名

歴史の教科書は本名を載せるのが基本です。別名を載せるのは、どうしても本名が記録に残っていないときです。
そういうわけで、今の教科書は別名の聖徳太子ではなく、本名の厩戸皇子で記述されています。とはいえ多くの場合、テストで「聖徳太子」と書いてもバツにはなりません。

天皇は即位前は本名、即位後は天皇の名前

学生時代に覚えるのが大変だった方も多いと思いますが、たとえば、同一人物ですが、乙巳の変の中心人物は中大兄皇子、公地公民の土台を作ったのは天智天皇と説明されますよね。天皇の場合、即位前は本名、即位後は天皇としての名前で記述されます。
また、重祚(ちょうそ)した天皇は、対応する時期の名前で呼びます。

聖徳太子の他の別名

史実を離れ、神格化というか仏として扱われてきた聖徳太子ですから、他にも功績を称える別名がたくさんあります。

上宮之厩戸豊聡耳命

10人の話を同時に聞いたという伝説によるものでしょう。

豊聡耳法大王

即位していないはずなのですが、それだけ伝説の印象が強かったのでしょう。

厩戸豊聡耳聖徳法王

臣下の話をよく聞いたという伝説に加え、十七条の憲法からの別名でしょうか。

東宮聖徳

東宮とは皇太子を意味します。

聖徳太子の本名と別名のまとめ

いかがでしたか?
聖徳太子が別名だということ、教科書から消えつつあることを知って、驚いた方も多いかもしれません。しかし、聖徳太子の功績とされている多くのことが、蘇我氏や周辺人物とともに行ったものであったとしても、聖徳太子が別名だとしても、「聖徳太子」の名前は消えることはないと思います。
聖徳太子像を本尊としている寺も多いですし、聖徳太子像を所蔵している寺はかなりの数があります。そういう寺で「厩戸皇子」と本名で書かれているのは見たことがありません。これからは、歴史と信仰で区別して名前を使い分けていくのでしょう。